さようなら、私のフランケン。〜エディ・ヴァン・ヘイレンに憧れて

  • 2020-10-08 (木)
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参照元:Tribune

追悼エディ・ヴァン・ヘイレン〜私が受けた影響

2020年10月6日。
エディ・ヴァン・ヘイレンがこの世を去った。
エディ・ヴァン・ヘイレンさん、65歳で死去 伝説的ギタリスト|BBC News Japan

長年闘病中だった事は伝え聞いていたが、あの屈託ない笑顔の記憶がそう思わせるのだろうか、きっと復活してまた元気な姿を見せてくれるような気がしていた。しかし報せはいつも突然やってきて私達の心に穴を開ける。悲しさと寂しさと諦め、そして当人が苦しみから解放されて良かったという安堵が混在する、この独特の感情。エディが亡くなったと知ってから私はしばらく半分力が抜けたような状態で過ごした。

エディは世のギター弾きに多大な影響を与えた偉大な存在である。勿論私もその影響を受けた一人だ。私はつい先日もエフェクター・ブックの記事と動画でエディを意識した音と演奏について触れたばかりだったし、Line 6 AMPLIFiの動画では”Panama”の一節をギターは勿論ドラムやベースもコピーした。80年代HR/HMについて語る「メタル会」のイベントで”Eruption”を弾いた事もあった。(リンク先はそれぞれの動画)

エディのギターは聴き流すには不向きだ。まず「ブラウン・サウンド」と称される素晴らしいギター・トーンに耳を奪われてしまう。キレの良いリフ、歌の合間に切り込んでくるオブリガード、グリッドから自由にはみ出しつつもグルーヴをキープする抜群のタイム感。ピッキング・ハーモニクス、ハミングバード・ピッキング、ピック・スクラッチ、アーミング、そしてライトハンド(今回は敢えてタッピングではなくこの表記とする)等といった専売特許的な奏法を当たり前のように織り込むプレイ・スタイル。どれをとっても派手なのに飽きがこない凄さ。何気なく聴いていたら自分が無意識に影響を受けていた点を今更発見する事も未だにある。

という訳で我ながらまあまあのエディ・ファンだと思う。実は私のギター人生において、特に極初期にはエディの存在が引き起こしたと言えるエピソードがいくつかある。しかしそれについて書く機会はこれまで無かったので、この機に記してみたいと思う。
(以降は結構な長文かつほぼ私の経験談で、エディ論とか奏法解析みたいなのは一切出てこないのであしからず)

衝撃との出会い

1983年。12歳だった私は既に洋楽に目覚め、主にロックを聴いて毎日を過ごしていた。ギターにも憧れを抱いていたのだが何から始めれば良いのやらまだ見当がつかず、参考にしようとヤングギターやギターマガジン、そしてギターを特集したムックといった専門誌を手の届く範囲で買っては日々読んでいた。中でも当時の最先端ギタリストに焦点を当てた一冊があり、そこに載っていた一人のギタリストに私の心は釘付けにされた。

その人こそエディ・ヴァン・ヘイレン。通称「フランケンシュタイン」と呼ばれる赤白黒にペイントされたDIY感丸出しのド派手なギターを持ち、楽しくて仕方ないといった笑顔で演奏している写真。彼を紹介する文章に現れるライトハンド、ハミングバード・ピッキング、ピッキング・ハーモニクス等々の意味は分からないがやけに刺激的なキーワード群。そして彼の演奏を採譜したタブ譜がその本に掲載されていた。

当時の私はまだギターを触った事すらなく当然タブ譜の読み方も知らなかったのだが、なんとなく眺めているうちにそこからある程度の情報を得られる事に気付いた。音符の数が多ければ音数が多く、符割りが細かければ演奏が速い。各音の下には「人中薬小」と指使いが記されている。しかし他のギタリストのタブ譜と比べてエディのそれは明らかに異彩を放っていた。音符の数がやたらと多く符割りも細かく複雑、そして指使いには前述の「人中薬小」に加え「R」の文字。なんだよ「R」って。それは右手の人差し指、つまりライトハンドという彼独自の奏法を意味する表記だった。タブ譜の終盤には急降下を表すような放物線の如き表記があり、その下には「Bomb」と書かれてあった。なんだよ「Bomb」って。それはつまりトレモロ・アームを掴んで音程を降下させるという意味だったようだ。譜面の曲名は「Eruption ~ 暗闇の爆撃機」であった。
(注:古い記憶かつ現在その本が手元にないので詳細は間違っている可能性あり)

なんだか分からないがすげー。この人の演奏を聴いてみたい。後日その曲が入ったVan Halenの1stアルバムを購入し、予想を上回る衝撃を受けた訳だ。今でも1曲目”Runnin’ with the Devil”を聴くとその時の感覚、部屋の光景などが蘇ってくる。”Eruption”を実際に聴いた時は革命を目の当たりにしたような、とんでもなく新しいものに触れたような気持ちになった。前述のタブ譜を見返しては、未だ読み方は把握していなかったものの、エディの凄さを幾度となく反芻したものだ。

その次に買ったのはマイケル・ジャクソン”Beat It ~ 今夜はビート・イット”のシングル・レコードだったと思う。この曲のギター・ソロも素晴らしかった。起承転結を感じさせる流れ、彼独自の自由な符割り、そしてライトハンド、ハミングバード・ピッキング、ピック・スクラッチなど自らのシグネチャー的な要素もしっかり盛り込まれ、「エディ・ヴァン・ヘイレンに求められるもの」が16小節に詰め込まれていると言える。(正確には16小節に収まり切らず前後にはみ出している点も象徴的だ)

初めてのライトハンド〜青いフランケン

私のギターへの憧れは日々高まる一方。その頃は玉光堂・琴似店(地元札幌のレコード店/楽器店)へ足繁く通ってはギターを眺めていた。ギターに触れてみたいがまだ何も弾けない私はある時、エディのライトハンド奏法を真似て右手の人差し指で指板に触れてみた。それは例えるならばピンポンを押す動作に近い。私の指が弦に触れ指板へと押し込まれフレットに到達したその瞬間、「ピッ」という音が微かに鳴った。音が鳴っただけで無性に嬉しくなった私はそのピンポンを繰り返し、気付けば「ピピピピ…」と連打していた。

その時、男子高校生3人組が私の側に近付いていた。しかしギターの前にしゃがみ込み無心にピンポン式ライトハンド奏法を繰り返す私は、その事に気付かなかった。「こいつ何してんだ?」3人組の1人がそう言うと他の2人が笑った。その笑い声で私は我に返りピンポン連打を即座に止め羞恥心を必死で飲み込み「ふーん、こんな感じね。」と、さも自分の連打がスイカを叩いて良し悪しを確かめる行為と同様のものであるかのような風情で口走り、立ち上がり振り返りその場を後にした。出来る限りの早足で。


しばらく経って私は遂に、格安ブランドのエレキ・ギターを中古で手に入れた。もし私が堅実な性格だったならば、念願のギターを入手して最初にやるのは恐らく”Smoke on the Water”のリフを覚える事だったであろう。しかし私は第一歩を踏み出す前に進む道を間違えてしまった。まずはストラップを付けてギターを抱え鏡に映る自分を見て悦に入る。ここまでは良かった。しかしそのギターの見た目は王道のストラトキャスターで、色はサンバースト。エディ・ヴァン・ヘイレンに憧れている中学生の目には茶色系のギターはあまりにも地味に映った。「このギター地味だな。まず色を変えたいな。」と思ってしまったのだった。(ギターを買う前に気付けという話である)


参照元:Sweetwater

エディといえば機材を自分で改造するDIY派としても有名だった。トレードマークだったギター「フランケンシュタイン」のテーピングによる塗装は派手でカッコよく、その仕上げの雑さすらも魅力的に思えた。私は少しでもエディに近付きたかった。ギターの弾き方を覚えるのは時間がかかりそうだが、ギターを改造してカッコよくするのはすぐに出来るかもしれない。私は工作が好きな方だ。が、決して得意ではなくむしろ不器用な方である。そして計画性は無いが無闇に行動力はあるタイプだ。つまりどうなったか。改造を思いついた次の瞬間にはドライバーを手に取りギターを分解、ボディからネックを取り外していた。この時の瞬発力ときたらそれまでの人生で最大だったと思う。私は最高速度で道を踏み外していた。

「自分だけのフランケンを作ろう。」改造するにしても本来ならば必要な物を準備するのが先決だが、私の家には工具類が割と揃っていたので何とかなるだろう、という楽観的な思い込みが私の迷走に拍車をかけた。まず塗装に必要なマスキング・テープは無かったがビニール・テープがあったのでそれで代用しボディにテーピング。なぜかスプレー塗料も数本あったので良さげな色を物色。エディのフランケンのような赤は見当たらなかったが、なかなか派手なメタリック・ブルーがあったのでその色で塗る事にした。青いフランケンなんて個性的で良いじゃないか。不慣れで手際は悪く塗りも不均等だったが何とかボディ塗装を完遂。塗料が乾いたのを見計らってテーピングを剥がす工程へ移る。

想像出来るだろうか、ヴァン・ヘイレン風ストライプだがベースが青で下地がサンバーストというカラーリングを。恐らく見た事が無いだろう、何故なら カッコ悪いから。 今でこそ、表面の青が経年劣化した感じで剥がれて下地のサンバーストが見えたりするマルチ・レイヤーという通好みの仕上げがあるが、そんな渋いカラーリングとは似ても似つかないおぞましき仕上がりであった。しかもテーピングに使ったのがマスキング用ではなくビニール・テープだった為に剥がした跡がベタついており、触るのもためらわれる程。数時間前のまばゆいばかりの閃きは今いずこ、私のテンションはそれまでの人生で最も低かったと思う。

かくして私が最初に入手したギターはフランケンになり損ね、そのボディとネックが再び接合される事は二度と無く、謎のオブジェとして部屋に放置される事となった。私は”Smoke on the Water”のリフを覚える事もなくギターの道を閉ざした。

1984/フランケン再び

1984年1月。Van Halen「1984」発売。私は先述の玉光堂・琴似店でその輸入盤レコードを手に入れた。思春期の多感な時期にこの名盤とリアルタイムで出会えたのは幸せな事だったと思う。レコードに針を落とした次の瞬間シンセが鳴り響いた衝撃は忘れられない。エディの、そしてバンドの魅力が詰まった比類なき一枚である。

ギターを始めるきっかけを物凄い勢いで自ら絶ってしまった私だったが、この「1984」にハマった事もあってギターへの憧れが再燃し、結局叔父が持っていたアコースティック・ギターを借りてギターを練習する事となった。数ヶ月経って少しギターが弾けるようになった私は、再び親に交渉してまたしてもストラトキャスターを買ってもらった。最初の失敗を繰り返すわけにはいかない…というわけで今回はギターを改造する事なく真面目にギター修練に打ち込んだ。…しばらくの間は。

改造せずに使っていたそのギターの指板はローズ製だった。しかしエディのフランケンはメイプル製で、見た目は勿論違うし音もどうやら違うらしい。「そのうちメイプル指板のネックも使ってみたいな。」そう思った私の視界に入ったのは、分解され部屋のオブジェとして放置されていた最初のギターのネック。それは正にメイプル指板のネックであり、こちらには塗装は施してなかったので無傷だった。これもしかして今のギターに付け替えられるんじゃ…?いや、もし失敗したら最初の二の舞いだ。でも上手くいけば少しエディの音に近付けるかも知れない…。最初のギターで手痛い失敗を経験した私は慎重に自問自答を繰り返した。

一度火が付いた欲望を抑えるのは困難だ。特に思春期の少年にとっては尚更である。「エディに近付けるかも知れない。」パンパンに膨らんだその気持ちに背中を押され、懲りない私は再びドライバーを手にしていた。失敗しそうなら元に戻せばいい、そんな独り言を口ごもりながら弦を外し、ネジを緩めてボディとネックを取り外した。そしてオブジェだったネックをひとまず当ててみる…サイズは問題ないようだ。というかメイプルかっこいいかも!かくしてテンションが上がった私は初代ギターのネックを二代目ギターのボディと組み合わせる事にした。ネックとボディを繋ぐ4本のネジを締めていく。すんなり入っていくネジもあればちょっと硬いのもあったが、なんとか全てのネジを取り付けられた。弦を張って弾いてみても問題なさそうだ。改造を成功させた私はほんの少しエディに近付けた気がした。

悪夢ふたたび〜フランケンの変身

その頃の私にとってギターは生活の大部分を占めていた。もうタブ譜もすんなり読めるようになっていた。ヤングギターに載っていたVan Halen “Hot for Teacher”のタブ譜は穴が開くほど読み込んだ。そのうちギターを弾く同級生の西村君と友達になり、放課後は彼の家にお邪魔して一緒にギターを弾くのが日課のようになっていた。そしてある日、事件は突然起こった。

私はいつものように西村君の家に前述の改造ギターを持ち込んで弾いていたのだが、その日はやけにチューニングが不安定だった。何故だろう、ペグ?ブリッジ?それとも弦がおかしいのかな?そんな事を思いつつもしきりにチューニングを直しながらしばらくギターを弾き続けていた。無心で弾いていた私はギターの異変に気付かなった。それはまるで玉光堂・琴似店で迫り来る男子高校生3人組に気付かず無心にピンポン式ライトハンド奏法を繰り返していた時の私のようであった。

ギターのチューニングはどんどん下がり続けていく。そしてだんだん弾きにくくなっていくような気がする。なんだこれ?その時西村君が私のギターを指差しながら叫んだ。「ネックが曲がってる!」正確には曲がっていたわけではない。その時私のギターは側面から見ると図のような状態になっていた。(クリックで拡大)

お分かりいただけるだろうか、ネックとボディを繋いでいたネジが緩み、ネックがボディから浮いていたのだ。元々ネックとボディのネジ穴はぴったり合っていたわけではなく、無理矢理に私の力技で締め込まれて繋がっていたのだが、ネックの木材が脆くなってきてネジ穴が徐々にダメージを受け広がっていたのだった。挙句ガバガバになったネジ穴が弦の張力に耐え切れず、図のようにネックが浮いてきたのである。ああどうしよう、と私が慌てふためいた時点で既にギターはもう限界に達していた。そして次の瞬間、私のフランケンは最終形態へと変身を遂げた。

お分かりいただけるだろうか、ネックはネジから完全に解き放たれ、そのまま外れるかと思いきやジョイント部の形状が奇跡的に噛み合って、ボディに対して垂直の状態で止まったのだった。ギターがこんな状態になったのを見た人がどれだけいるだろうか。恐らく私と西村君くらいだろう。放心、悲しみ、諦めをほぼ同時に感じながら爆笑した初めての経験だった。

こうして私のフランケンはまたネックとボディに解体され、ボディは元々付いていたローズ指板のネックと再び組み合わされ、ネジ穴ガバガバ・ネックはまたしても謎のオブジェと化した。以降しばらくは普通のストラトに戻ったギターをそのまま弾いていたが、時折押し寄せるDIY欲に負けて懲りずに何度か改造を施した末、変な音が出る変な見た目の新たなフランケンを作り上げてしまった。そんなフランケンを弾く私があまりに不憫に見えたのだろうか、西村君が使わなくなったギターを譲ってくれた程である。

エディに憧れて幾度もDIYを試みたものの、自分に改造は絶望的に向いていないと悟った私は、もうこんな愚行は繰り返すまいと心に誓った。こうして私はもはやオブジェ化しつつあったフランケンに別れを告げ、譲り受けた新たなフランケン相棒と共にギターに明け暮れる日々を送るのであった。


以上、私の経験談でした。ここまで読んでくれたあなたの「これ何の話だよ」というお怒りの声が今にも聞こえてきそうですがごもっとも。私自身もね、ここまで脱線するとは自分でも思わなかったもので。正直書き始める前は悲しい気持ちだったし出来ればちょっと涙を誘うような文章で締められたらなんて思ってたのですが、書いてる間ずっとVan Halenを聴きエディの笑顔を思い浮かべていたら段々楽しくなってきて、すっかり悲しみが浄化されたかの如き清々しい気分で今を迎えております。やっぱりエディ、そしてヴァン・ヘイレンに涙は似合わないでしょう。笑顔で送りたいと思います。エディ、安らかにお眠りください。

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