• 2006-10-28 (土)
  • カテゴリー: Diary
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NOISE。ノイズ。雑音。

ノイズというのは人の心に半ば強引に訴えかけてくる。しかし、ノイズと呼ばれるものすべてが騒音というわけではない。
中には心地よくさせたり、泣き出してしまいそうな原始的な感動を呼び起こしてくれる音楽的なものもある。
僕もそんな音は大好きであり、自らもそのように楽音を超えようと試みる事が多々ある。
音階の配列よりも、音そのものに感情を宿したものの方が、より直接的に心に響く事もあるのだ。
むしろ、いくら技術と趣向を凝らして形を整えられた音楽でも、心の深いところに届き、響く事がなければそれは雑音であるとも言える。

街にそんなノイズが溢れていた。

駅前、路上にて演奏する者達。
アコースティックギターをかき鳴らしながら熱い想いを暑苦しく叫ぶ者。
更にその隣に並び、出来るだけ高い声でハーモニーを付ける者。
電子ピアノを弾きながら日常に根差した本音を吐露する者。
アンプやドラムまで設置して青春の日記をビートに乗せる者。
ジャンベ等の打楽器を叩きながら自分達のリズムをひたすら刻む者。
等々……。

勿論、中には心に響くものもあるのだろうし、実際足を止め拍手を送り時には涙する観客もいるのだから、それはそれで充分に価値のあるものだとも思うし、むしろそれを理解し得ない僕の方がおかしいのかも知れないのだが。
それはそれとしてさておいても、僕にはかねてより疑問に思っていた事がある。

一体全体、なぜに、なにゆえに、彼等は互いにあんなに近くで演奏するのだろうか。

この狭い日本国土の中で、更に人々の密集する場所で、不特定多数に自らの表現を伝えたいと熱望しているのだから仕方ないではないかこのたわけ者がっ。
と言われたら、いやあ、わかりますわかりますとも、と路上演奏者全員と一人ずつ握手したいくらい解るのではあるが。
明らかにそれぞれの音がカブっているのに、各々はひたすら自らの主張を続ける。
多種多様なポリリズムがくんずほぐれずカオスとなり、カタルシスもないまま巨大な雑音は更に増幅される。

ひぇぇっ。と僕は口走りながら慌てて家に帰ってきて、
焼酎と葛根湯を飲んで頭をふわっふわにしてやっとこ落ち着いたのであった。

ふぅぅ。寝よ。

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