禁煙記2007 その2 – すぱっとすぱすぱ

interesting ashtray

僕は愛煙家である(であった)。
愛煙家だからこそ、惰性で喫煙する事に疑問を感じて禁煙に至ったのだ。
嗜むのは粋だが、依存は無粋である。

前回にも書いたように、すんなりやめられそうな考えが閃いたからこそ
禁煙をしてみる気になった訳だが、実際その方法で至極スムースに禁煙出来てしまった。
その方法とは、禁煙を達成した人と出来なかった人との違いを参考にする事から始まる。


やめられない人は、頑張って、我慢して、耐えて、歯をくいしばって、握り拳で、鬼の形相で、やめようとする場合が多いように見受けられる。
この場合はとてつもないストレスが発生すると思われる。イライラする余り周囲に当り散らしたりと、どうにもネガティヴな感じがする。
煙草代わりにパイプやガムのような禁煙グッズを使用するのも、逆効果のように思える。
「禁煙」と銘打ったアイテムを使う毎にプレッシャーが積み重なっていくのではなかろうか。

してはならない、なんて思うと無性にしたくなってくるものだ。
鶴の機織りやら玉手箱やらと昔話にもあるように、見るな開けるなと言われれば却って気になる。
忘れようと思えば思う程にその事を考えてしまい、挙句もう見ずに開けずにはおられない。
どうじゃ、やってみたかろうが、もう貴様はこの因果から逃れる事は出来んのじゃ、ふぉっふぉっほ、ほ。DO IT !
なーんて内なる声の誘惑にそそのかされて、ついつい手を出してしまうのである。
そして、禁断の一服に手をつけてしまった人の顔ときたら、眉を八の字に曲げ口元をふにゃりとゆるませ、
も、こーんな旨いもんはありません、とでも言いたげな表情を浮かべるのだ。
我慢した後の一服はさぞ旨かろうて。こんな調子では、やめるのはさぞ辛かろうて。

一方、やめられた人はというと、実にあっさりとしたものである。
ある日スパッとやめた、という例が多い。やめた時の苦労話をする事もなく、もうそんな事は忘れてしまったかのようだ。
と言うより、苦労などしていないように見受けられるのである。
やめられない人には欲望を封じ込めようと我慢する重苦しさがあるのに対し、
やめた人には煩悩をぽーんと捨て去ってしまったような軽さを感じる。

この、ぽーん、という感じが重要である。
吸いたいという欲望をぽーんと捨てて、投げて、ほかして、煩悩を元から断ってしまうのだ。
煙草?うん、もう吸わないよ。ぽーん。

聖者のような心身の軽やかさをイメージしてみると、意外なほどに辛さを感じないのであった。
そして、日々少しずつ体内からニコチンが抜けていくとともに、心身に予想外の変化が現れてきたのである。

つづく

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